ただただ思ったことを上手く伝える練習

個人の尊重と同調

 同調圧力の適用範囲が増えて来ている印象があります。

 

 例えば、マスクをするという同調圧力が怖い。と。

 主張する側の意見は非常に分かります。マスクをしていなければ、ネットに晒されたり、暴力を受けてたりと、精神的にも身体的にも攻撃を受ける可能性があります。

 

 攻撃する側は、彼らなりの正義感によって行動しているのでしょう。

 拡散する手段が手に入ったことで、陪審員裁判ができるような状況になり、そこから刑の執行自体も個人の判断基準の中に入ってしまったかのように感じます。

 本当の裁判と違い、公平性が保たれるような仕組みもなく、そういった専門知識のない人たちが実施してしまっている状況に危険性を感じます。

 

 責められる側に弁護士はついていないことが多いですし、客観的に物事を捉える経験を積んでいない人々が判決を下して燃え上がるのだと思います。炎上中の燃料投下も裁判では普通は起きないです。裁判もその枠組みの中で動いているからそういった不適切な状況にならないようになっているのだと思います。

 

 さらには、責める側は感情に乗った主張をしたり、それだけではなく、その裁判に関わりたいがために参加するという状況まで起こり、同調圧力の範囲がどんどん広がっていくようになってしまっていると思います。

 

 論理の飛躍がありますが、個人の尊重ができる環境が出来上がることで、同調圧力が起こりやすくなっているのだろうと思います。

 

 そもそものマスクの同調圧力の件は言い過ぎだと直感的には感じますが、広範囲捉えてみると、あながち外れていない主張になるのかもしれません。