ただただ思ったことを上手く伝える練習

こどもはコスト は 割と切実

 子どもがいる世帯に支援のために一時的なお金を払う政策があります。わたしには子供がいますが、それをもらうことはできません。

 

 その分、給料をもらっているからという話もありますが、それとこれとは違う話ではないかと考えています。

 何にいくらを使うのかはその人それぞれです。いくらお金を持っていても高級なスニーカーを買わない人もいれば、持っていなくても高級スニーカーを買う人もいます。

 私の場合は子どもの習い事と家族旅行に割と使うほうですが。。

 

 個人的に感じているのが、今の国内のシステムは多くの額を納税している人にとっては、子どもがコストと感じるような施策になっていることです。こども手当、今回の件などなど、ある程度以上の年収になると、子どもを育てるための援助を国から何もしてもらえていないように感じます。国から助けてもらえていない、金はかかる、やはりコストに感じる、と。

 親の年収などによる教育格差の懸念は言われていますが、それに関しては何を最低ラインとするかで見方は変わると思います。公立の仕組みの範囲で妥当でそれなりの将来の選択肢があり、それが無料で提供されていれば、それ以上を望んでいる人たちのやることは格差とは言い切れないところになるのではないかと考えています。前にも書いた気がしますが、平等と言っても、ルーブル美術館に毎日行けるようにするのには、資源的に限界があります。

 

 平等や公平の考え方は人それぞれだと思いますので、あくまで個人的な意見ですが、親がどうであれば、子ども一人に対しての国としての支援の仕方は同じであるべきではないでしょうか。高校無償化も、収入が少ない人だけに提供するのは間違っていると思います。財源が~とかのお話になるかもしれませんが、別にお金がほしいわけでも、ただにしてほしいわけでもないです。子どもに対して等しくしてほしいのです。

 正直、消費税が上がっても、それを教育に回すなら全然許容するのが私の考えです。

 

 この国では、高齢者のほうが、多数派ですし、政治の仕組みも決めてしまっていますが、一般企業と同じく継続的に国家運営が続けられるためには、自国の人的資源を向上を考えていくのが合理的であり、そういった視座に立った高齢者が現れることを祈りたいと思います。