ただただ思ったことを上手く伝える練習

Chat-GPT

色々と遊んでみましたが、日本語はまだ苦手なところがあるかもしれません。

 

情報を残さず拾ってなんとかしようとしているところを見ると、

真面目すぎる傾向にあるのだろうなと思ったりもしました。

 

とはいえ、このレベルで返信をされると、

もう、中途半端な人間よりもはちゃんとやり取りができている印象があります。

不適切な表現かもしれませんが、IQが20違うと会話が合わないって話を聞いたことがありますが、賢い人の言う事って意味不明なんですが、AIのほうがまだなんとかわかる言葉にしてくれる印象があります。

 

そして、ここに価値のある会話をできるかどうか。

問題を作る力が求められるようになるんだろうなと思ったりします。

 

AIが困るような質問を考える授業なんて面白いかもしれませんね。

 

子供にも渡して遊んでみるのもいいかもしれません。

 

でも、そうすると、思考の価値観が平坦化して、

性別とか外見とか、表面的な多様性だけの世界になってイマイチかもしれませんね。

何でも炎上とよぶ語彙力のなさと思考停止

スマホのニュースで定期的に見る テレビ番組の発言を切り抜いた炎上という記事を見ます。

 

・いろんな意見があることの紹介としか思えないようなレベルで炎上と呼称

・実際に調べてみると、それ言っているの超少数

・むしろその記事を使って盛り上がっているだけ。

 

多少でも配慮がなければ、少数派が反応し炎上と呼称。

確かにその立場ならそうかもしれない。が、100%すべての人を意識して生きるって可能なんですかね。

そして、後出しジャンケンで配慮が足りないと騒ぐ安全圏の人。

 

目の前にその人がいるわけでもないのに、いろんな人のことを想像して生きなければならなくなったんでしょうね。

いくらお金がもらえても、公人は割に合わない世の中になりそうです。

 

それをケアするコストで経済が死ぬ気がしてきたりしています。

自然とシンプルにたどり着く なんでもそうではないでしょ?

 スマートフォンは今やただの板です。

 

 それは物質的なものとしてはそれ単体では役割が明確にできず、搭載するアプリケーションによって役割が変わるからと私は認識しています。

 

 今は折りたためるようなものが出てきましたが、それは可搬性が理由であり、おそらく使うときに中途半端に曲げて使う人は、ほとんどいないと思います。

 

 日本の畳の部屋って、その場所の中心に置くものを変えて、ダイニングにしたり、ベッドルームにしたりしてるんですよね。

 本当のミニマリストの部屋は和室にたどり着くんじゃないでしょうかね。

 クローゼットよりも、押入れのほうが空間の使い方が増えそうです。

 

 それ自体の役割が変化するもの、そして、個人で役割が変えられるものはシンプルになっていくのは自然なんだと思います。

 

 ただ、車は、そうじゃないんじゃないかな、と。

 他の個性的な車と同時に走ります。手に持って集中するスマホや個人の空間である和室とはデザインとして見られるタイミングが多いです。

 車はアプリケーションが変わったとしても、本質的にはモビリティです。

 個人所有はレアになり、そのうち贅沢品か、なにかあったときにレンタルして使うものになるとおもいます。特に日本では。

 

 突き詰めると自然にシンプルになった。の文脈に乗るプロダクトとは思えないんでしょね。

 それが昭和なのかしら。

有料にするところをどこにするか問題

 Abemaでサッカーを見るのが楽しみになっています。

 

 ワールドカップのおかげかもしれません。

 一方で、有料でないと見れないオプションが若干弱いようにも思ってしまいました。

 

 必須ではないが重要なところを有料にする。

 よくある広告を止めるは、微妙に感じるのは私だけでしょうか。

 

 ながら作業が増えつつある世の中では、広告が流れている時間は他のことをするだけになっているのではないか。

 テレビのCM中、多くの人はSNSを見ているでしょう。

 その昔のテレビ番組は、58分開始などをすることでなんとかしたのでしょう。

 CMマタギが長いのは、今の時代は蛇足としか思えないです。コンテンツの濃度を薄くしちゃっている。

 

 有料にするところをどこにするか

 マスメディアで有効な広告のあり方は何なのか

 

 見つからずに終わるとは思いますが、難しい問題だと思います。

 

2022年どうでしたか。

 結局、毎週少しでもと思っていましたが、こういうのを続ける力が弱いことを恨みたい、と言いたいところですが、この歳になると後悔の気持ちも持ってもあんまり意味がないなとも思っています。

 残り時間も限られる中で、取り返す気にもなりませんし。

 やらないってことは必要じゃないってこと。

 重要ならやるだろうし、重要でも無理なもんは無理。

 

 階段の電気は消し忘れるし。

 

 ということで、シンギュラリティだの、W3だの、メタバースだの、技術による人間そのものの捉え方に天変地異があったとしても、楽しんでやろうという気持ちになりつつあると感じる2022年と言えます。

 

 人々はなんとなくそれを感じていて、SNSで予行練習でもしているのかしら。

カテゴライズ分解能と違いの認識

 分類すると、そこに違いが出てきます。

 

 ビデオゲームと分類する人と、さらにカテゴリで分類する人、ゲームハードで分類する人では、同じと思う範囲は全然違います。

 カードゲームなのか、格ゲーなのか、RPGなのか、分類ができている人からすると、それぞれには大きな違いがあります。多くの場合、他人もその分解能を理解していると思い込み気味ではないかと思います。

 

 政治家はみんな同じ。に対して、我々はどのくらいの分解能を持って見ているのかを自省したいと思っています。

 一方で、一般の方がどういう分解能とカテゴライズで見ているかを理解もすべきではないかと思います。多くの場合、政治思想や信条などを指して同じとは言っていないと思います。(私の場合も)

 否定されたときの言い訳の仕方。話し方、曲解する方法、理解してもらう気が全くなく主張だけを繰り返す様、話を聞かない態度、絵空事ばかりで本質が全くないこと。など。彼らと違いますを主張するときに、自分たちの分解能で違いを主張をしていても、大きくは同じだと思われていることに気をつけた方がいいかと思います。

名前は大事、そして、名付け間違い指摘への反応

 ソフトウェア開発では、関数の名前付は重要な作業の一つです。

 

 基本的にすべてのストーリーが一様に書かれるわけではなく、多段階層構造にすることで、階層ごとに修正できるようになっています。

 例えば、関数は目次みたいなものですかね。

  目次

  ・生まれる

  ・弟が生まれる

  。10年経過

   ↓

  中身

  2034年に生まれました。

  しばらくすると、弟と妹が双子で生まれました。

  2043年になり、妹がなくなりました。

目次では普通の感じですが、中身はだいぶ違うお話になります。

 

 中身を表さない目次の場合には、目次を見ただけでは理解ができなくなります。1000万行もあるものは、斜め読みで理解できるように、適切な目次をつける必要があります。

 

 この業界に生きている人は、名前付けが重要で、それを見て誰もが同様に認識できる名前を一生懸命に考えます。すごいところでは、辞書を引っ張って、英語に訳して、わかりやすいか考えてみたなものも聞いたことがあります。

 そんな感覚の人からすると、明らかに語弊のある表現を使っているのは気になります。

#定義 リストの最大値は0

を見ると、定義があって、それに数字がついているので、通常は定義は正しい前提で、数字の誤りを指摘します。

 なぜならば、他の人がその定義と数字を参照するからです。

例えば、

 "今の状態"は"リストの最大値"を超えていないですか

など。

 ここで、この指摘に対して「いいえ、リストの最大値はリストの最大値というつもりで書いていません。」と言われると、その定義を正しく書いてくださいと指摘します。

 

 定義を正として、数字を指摘し、定義に違いがあるのであれば、定義そのものの名前付けを指摘し、全員が同じようなものを想像できるようにする。非常によくある指摘の応酬に見えます。

 基本的に指摘は攻撃に感じる人が多いので、相手との信頼できる関係を構築したり、コミュニケーションのやり方も必要です。それができる相手であれば。

 

関数:座り込み X日

中身:誰も座っていない

 

(中身が違うので、)Xが適切でないのでは?

→座り込みの定義が普通の人のイメージと異なります。

 

(イメージが合わないので、)定義を変えたら?

→そういうことではありません。

 

参照された場合

ニュース:座り込みがX日を超えました。

普通の人:とても頑張っているんですね。

実際の活動:一日数回のちょっと座るだけ

 

改めて使う言葉には注意が必要だと感じる今日このごろです。