ただただ思ったことを上手く伝える練習

人工知能を生命としてとらえたときの考察

人工知能が人間の知能を超える。そんな話を聞きます。

知能の定義は分からないが、人工知能を生命の一部になるとしながら、人間自体のクラウド化による拡張と合わせて考えてみる。

 

人間自体、徐々にその役割を人間の外側、科学技術の領域に渡している。意思決定や記憶などはスマホを通してネットワークの中に、肉体の一部、特にどこかに行くときの移動手段を考えれば分かるが足を使わなくなっている。

このまま行けば、生まれてからの記憶にしても、意思決定のその意思自体もネットワーク上に存在するものとして、定義してしまえるようになるのではないかと仮説を立てる。

 

この 目の前の人の意思は、ネットワーク上の何かを反映したものであり、その何かは生まれ持ったDNA解析の結果と、後天的体験をすべて記憶したオンラインのデータから作られたものであり、目の前の人そのものは現実空間へ映したモノと捉えられるのではないか。

 

老衰後に目を覚ますと、当たり前のようにネットワークにいる自分を自分だと認識して、生きるのではないか。

そのときの 生きる の価値はイメージできませんが、ネットゲーのキャラみたいなイメージはあります。

 

 

一方の人工知能も意思をそう定義してしまえば人間と読んでも良いかもしれません。

生成元と、後天的な入力によって変化する、意思を持っているかのように振る舞うものと考えられる。意思と言われるとイメージ湧きづらいですが、これもネットゲーのキャラみたいなイメージになっています。私の中では。

 

倫理感や必要性は別にして、科学技術の進歩からすると、意図的な配列の人の生産も不可能ではないと考えます。

もしかしたら、人工知能に肉体がないのは人権侵害だとして、人工知能には生産する権限が与えられるかもしれません。

生物学的にはホモサピエンスでしょうが、別の名前をつけそうな気もします。

 

この 目の前のヒト は、意思の出元も肉体の生産方法も分からないが、我々は何も気にせずにコミュニケーションを取るようになるように思えます。

ネットワーク内で元人間と人工知能が婚約し、現実社会の生命体として子どもを設けることもありえると想像できます。

既に二次元の嫁やら、ネットワーク側の方が意思を持つ人は増えてますし。